ムスメが生まれてから退院までの出来事をこれからの記事でまとめていきたいと思います。
生まれた直後
生まれてすぐの僅かな時間の対面。この時は手術室からNICUに急いで向かわないといけない状態だったため、ムスメの負担にならない早さで、かつ迅速に廊下を進み止まる事なくパパ達の前を通り過ぎていったみたいです。奇跡的に写真を撮ることができました。
ちょまパパ:手術室の前で待っていて下さいと看護師さんに言われ、無事に生まれてきてくださいと自分が考えつく全てに祈っていました。手術室の扉が開いて初めて見る我が子の姿に正直驚きました。両手で隠れるぐらいの大きさで、生まれたての雛鳥にそっくりで、頭や身体の小ささ、腕や足の細さ、皮膚が薄く真っ赤な肌にただただびっくりしました。たった20秒ほどの面会。NICUに入るムスメを見送った後、看護士さんから産声をあげたと聞いてなんて強く生きているんだろうと感動し我が子ながら誇らしく感じました。
1日目〜3日目
初めてNICUに行った時に撮った初めての写真。まだ皮膚が強くないため乾燥しないようにワセリンを塗ってラップを巻いていました。手や足、おへそにも点滴がついて、口には呼吸器の管が。NICU内はムスメをサポートするための色々な機械が動いているためその音を聞いて不安を感じることが多かったです。
ちょまママ:私はムスメと初めての対面でした。出産した次の日初めて会いに行ける嬉しさと早く産んでしまった事への後悔で心はぐちゃぐちゃでした。パパに車椅子を押してもらってムスメを見た瞬間、私の感情は後悔の気持ちでいっぱいになりました。涙は止まりませんでした。たくさんの管につながれ頑張っているムスメを見て『ごめんね、普通に産めなくてごめんね』と思ってしまいました。でも、懸命に生きようとしてるムスメの姿を見て生まれてきてくれてよかったと素直に思いました。
ムスメがお腹の中にいる間に主治医の先生から生存率の話を何度か聞いていて2018年の時で22週の間に産んだ場合30〜40%、23週の間に産んだ場合50%だと言われていました。まずは無事に生まれてくること、そして生まれてきたら3日間を無事に過ごせるかが目標でした。最初の目標だった生まれてくるということがこんなにも大変で、生きていくということがこんなにも難しいことなんだと痛感しました。私は産んでから2日目に母乳が出るようになりました。初乳を飲ませられることが大事だと言われていたので出るようになってムスメと一緒に頑張れるとすごく嬉しかったです。3日目のお昼私は転院することが決まっていたので手続きが終わってからパパとNICUへ行きました。担当の先生に初めて会い今の状況を聞きました。
- 頭の出血があるのか、ないのか検査結果ではまだわからない。でも悪いわけではないよ。
- 腸がまだ動いていない。何もしないとダメになるから母乳を(0.3ml×8回)で始める。
- 母乳が消化できないとお腹が裂けたり出血したりするので、ダメな時はすぐに中止する。
やはり、先生からの言葉は安心できるものではありませんでした。でも成長するために必要なことをしてもらえる。これを乗り越えていかないと次に進めない、ムスメは頑張ってくれると信じることしかできませんでした。
NICUでムスメの姿を見て別の病院に転院するときに、ムスメが初めて両手を開いて見せてくれました。偶然とわかっていながらもまるで「またね!」ってしてくれるみたいでムスメの少しの変化や動きが本当に嬉しかったです。
転院した病室で寝る前に「まずは3日間クリアすることができた。明日もムスメは元気!」と不安を希望で抑え込みました。
ちょまパパ:NICUにはデジカメの持ち込みは可能だったのでムスメがただ寝ているだけの動画を何回も録りました。ママと保育器の両サイドに分かれて呼吸している姿をずっと見ていました。看護士さんが毎日メモ帳に数行のコメント書いてくれていたのでNICUに入ってムスメの姿を確認するとメモ帳の今日の部分を撮影するのが日課になりました。小さな手足を元気に動かしていました。その文字を見るだけでママと目を合わせて笑顔になりました。
ムスメ(534gから退院まで)②に続きます。
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